マルチナ・ヒンギスとは、経歴で見る栄光と凋落、引退からの復活劇

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かつて日本でも大人気になった、

若き女子テニスプレイヤーがいます。

 

マルチナ・ヒンギスです。

マルチナヒンギスの経歴

彼女はわずか16歳で全豪オープンで優勝をして、

一気にスター選手となりました。

 

女子テニス界における数々の最年少記録を塗り替えて、

その記録はいまでも破られていません。

 

例えば16歳6ヶ月での世界ランキング1位獲得なども、

彼女が持っている輝かしい記録の1つです。

 

また4大大会の内、年間で3つの大会を制した、

最年少記録保持者でもあります。

 

他にもダブルスとシングルスの両方で、

世界ランキング1位になったこともあります。

 

マルチナ・ヒンギスの栄光と挫折

これだけの輝かしい活躍をしていたマルチナ・ヒンギスは、

日本でもCMに登場して高い人気を獲得しました。

 

東レ・パン・パシフィックオープンの常連でもあり、

何度も優勝してファンを喜ばせてくれました。

 

しかし彼女は早熟の天才でした。

 

早くしてテニス界の頂点に立ったことで、

慢心をしてしまったのか、

あるいは情熱が失われていったのか、

しだいに勝てなくなっていってしまいます。

 

引退からの復活

さらに追い打ちをかけたのは、

圧倒的なパワーで相手を圧倒するテニスで、

衝撃を与えたウィリアムズ姉妹の登場です。

 

同じ頃にリンゼイ・ダベンポートなど、

やはりパワー重視のプレイを展開する、

選手が出てきたことで状況は一変します。

 

マルチナ・ヒンギスは4大大会で、

結果を残せなくなり引退をしてしまいます。

 

日本でも早すぎる引退を惜しむ声がありましたが、

その後電撃的に復帰を果たします。

 

そして2007年の東レ・パン・パシフィックにおいて、

大会5度目の優勝を果たすことになるのでした。

 

 

早熟型のスポーツ選手はどの競技でもあります、

学生時代はとても輝かしい成績を残したり、

オリンピック代表にまでなったのに、

 

プロになってからは鳴かず飛ばず…

このようなケースは大変多いです。

 

そう言う意味ではマルチナ・ヒンギスは、

すごい選手だったな~と思いますね(´∀`)


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